第八話






「だぁぁーーーー!!!ウェハアァァーース!!!!」

1年3組の教室にアホみたいな叫びがこだました。

「ど、どうされましたか!?」
「聞き耳うっさぁーい」
「わからん!!わかんねーッス!!俺ほんとに数字見ると気持ち悪くなるんッスよ!!」
「ってかあんた気持ち悪い」

テストまであと一週間。ほとんどの授業は教科書を進めずに、自習の時間をとっていた。
自習と言っても本当に真面目に勉強するものはごく一部であり、大抵はおしゃべりの時間に費やしている。
聞き耳は真面目に勉強をしているものの、静かに机に向かうということはできないタイプだった。
教科書を破らんばかりの勢いで握り締め、冷や汗だらだらの彼に軽蔑のまなざしを向けているのは、かのフランシスコの彼女、兼ロベルトの想い人、イサベルであった。


「イサベル〜この問題だけ教えてくれッス!」
「えぇ〜めんどいな〜。どこよ?」
「あ、イサベルにわかるわけなかったッス。エレーヌ〜教えてくれッス」
「死ねっ!!(怒)」

イサベルは聞き耳の頭を思いっきり机にめり込ませた。

「だ、大丈夫ですか?(汗)」
「エレーヌ……あんたの親友は自衛隊にでも入ってたんスか?(涙目)とりあえず、こことここを教えて欲しいッス」

おでこからホラー映画張りに流血している聞き耳を前に若干おびえていたエレーヌだったが、律儀な彼女は聞き耳の指し示す問題を確認し、自分のノートを引っ張り出した。

「えぇと、ちょっと待ってくださいね……」
「早くするッス(←図々しい)」

エレーヌのノートはとても綺麗で、小さめの文字が規則正しく並べられていた。時々、図やカラーペンなどが使われており、教科書よりもわかりやすいノートだったが、その量が半端なかった。教科書の単元ひとつに対してノート五冊分くらいはありそうである。それらをドサッと机の上におき、彼女は一冊一冊調べ始めた。

「コレかしら?あ、もうちょっと後ですね…これかな…」
「……(イライラ)」
「うーん、ちょっと待ってくださいね。…あら、ないわ…。どの問題だったかしら」
「…………(イライライライラ)」
「あ、あった、これですわ。聞き耳、まずこの問題が基本中の基本でして、順番に解いていけばこの一冊が終わるころにはあなたもわかるように……」
「だぁぁぁーーー!!!めんどくせぇ!!!もういいッス!!!」
「……そ、そうですか…(ガーーーーン)」
「エレーヌ、あのアホは気にしなくていいわよ(汗)」


誰か簡単にわかりやすく、テキパキと教えてくれる人はいないかと、聞き耳は机の上に立って教室を見渡した。そんな彼に誰も突っ込まないのは、おそらく彼の奇想天外な行動が日常茶飯事だからだろう。

「おっ」

聞き耳が目をつけたのは教室の端の席で一人で黙々と本を読んでいる冷たい眼差しの金髪の男の子。アシンメトリーな前髪からおしゃれに気を使っているのがわかるが、その外見の割には大人しく、今もみんながくっちゃべっていると言うのに、まるで自分とは関係ないといった風だ。
そんな彼に聞き耳は近づく。

「カーシーウースー!!今暇ッスか!?」
「……暇じゃない」

読んでいた本から目を離さず、彼は言った。

「暇ッスか!(^▽^)ちょっと数学教えて欲しいッス!!」
「……」

聞き耳は、カシウスの返答も無視して、空いていた椅子を引っ張ってきてカシウスの机に教科書を置いた。
カシウスはあからさまにいやそうな顔をしたが、如何せん、彼は極度の無口なので咎めはしなかった。

「ってかカシウスに教えてもらえるなんてラッキーッス!だっていつもブルータスの奴が独占してるじゃないッスか」
「……」

ブルータスとはカシウスの親友である。寡黙なカシウスとは対照的に天真爛漫な男で、誰とでも仲がいい。いつも笑顔の彼は人望もあり、人気者だった。そんな彼がなぜカシウスと気が合うのかと疑問に思う者もいるが、彼らはいつも一緒にいた。学年で成績1位のカシウスに勉強を教えてもらっているため、一見馬鹿そうなブルータスもなかなかの成績上位層である。そのため誰もがカシウスに教えてもらいたいと思っていたが、ブルータスはカシウスが他の人に勉強を教えるのを嫌がっていた。

「今日はブルータスいないッスね。珍しいけど、どこ行ったんスか?」
「……」

聞き耳の言葉にカシウスは泣き出した。さすがのKY代表の聞き耳も驚いて、あたふたしながら、俯くカシウスの顔を覗き込んだ。

「ど、どうしたんスか!?(汗)」
「……」
「え?何?ブルータスが?」
「……」
「三年の教室に行ってて今はいない?」
「……」
「だから最近は一緒にいない?」
「……」
「……しゃべれ!!!!(怒)」

怒鳴ったらなんとか聞こえる音量で話すようになった。

「……ブルータス、最近三年の人と仲良くて、いつもそっちに行ってるんだ」
「三年?誰ッスかぁ?」
「……カエサル」

カシウスの言葉に、聞き耳は、あぁ、と頷いた。

「カエサルって生徒会の!」
「……うん」

生徒会長といえばエドガーであるが、カエサルは書記の役割を担っている。割と地味な役職であるが、生徒会長の存在感がありすぎるためか、生徒会と言うだけでこの学校では尊敬されるに値する。

「なーるほどー。カエサルね…。そりゃあ、あれッスね。しょうがないッスね」
「……何が」
「生徒会っつったら、ある種のブランドじゃないッスか。ブルータスも、やっぱあーゆう華やかな世界のほうが好きなんスよ」
「……」
「ま!どんまいどんまい☆それよりここ教えてくれッス!」
「……」

カシウスは号泣しだした。

「あーもう!!泣くなッス!!」
「……だってブルータスが…(泣)」
「はぁー。しょうがないッスね。あんたはどうしたいんスか」
「……わかんない。でも寂しい…」

涙をぽたぽたと机に滴らせ、鼻をすするカシウスを見て、聞き耳は「うーん」と唸ると、思いついたように表情を明るくさせた。

「カシウス!わかったッス!俺が協力してやるッス!」
「……協力って」
「あんたの元にブルータスが戻るように、俺が手を貸してやるッス!」
「……ほんとに?そんなことできるかな…」

カシウスは涙を拭い、希望に満ちた瞳で聞き耳を見つめる。聞き耳はドンと胸を張って、得意げな表情を作った。

「任せるッス!恋の悩みなら、ぴったりの知り合いがいるッス!」
「……ほ、ほんと??」
「そのかわり、数学のノートコピらせてくれッス!」
「……」





「んー、こんなもんかな」

小皿にとったクリームソースを味見して、ロックウェルは自分に向かって頷いた。
フライパンで熱し、少し焦げ目のついた白身魚を二つのお皿に移し、クリームソースをかける。ほうれん草のソテーを付け合せ、真白いクリームソースの上にローズマリーの葉を飾れば、高級レストランで出されても違和感のないような見栄えだった。
一人暮らしの高校生の夕飯には見えないなーなどと自分で思いながら、満足げに笑むと、それらをリビングのテーブルに置き、来客を待った。
もともと料理は好きな方だが、今日はいつもより手が込んでいて豪華な夕飯だ。というのは、今日はフレデリックが遊びに来るため、気合を入れて料理の腕を振るったのである。
約束の時間に近づき、そろそろくるかと思いつつ、前回遅刻をしてきた彼のことだからやはり遅れるかな、と思い直す。料理が冷めてしまうので、早く来い、とメールを送り、フレデリックが来るのを待った。
ベッドにごろんと横になったとき、玄関のインターホンがなった。思ったより早く来たことに驚きながら、玄関に向かう。

「なんだ、早かったじゃ……」
「あ、どもッス♪」
「…………」
「ちょっ…なんスかその顔!!(汗)あっ閉めないで!!」

ものすごく落胆&嫌悪感むき出しの顔でドアを閉めようとすると、悪徳業者張りのしぶとさで、聞き耳がドアの間に足を挟んできた。

「んだよ!!てめーは!!(汗)死ね!!」
「やだなぁ〜ロックウェルさん、俺らの仲じゃないッスかぁ♪」
「うるせー黙れ死ね」
「な、なんか機嫌悪いッスね……(汗)」

ドアを閉めようとするロックウェルと、閉めさせまいとする聞き耳の攻防を、連れて来られたカシウスは不安げに見ていた。カシウスに気付いたロックウェルが力を緩めた隙に、聞き耳は部屋にあがりこもうとした。もちろん殴られた。

「……あ、あの、聞き耳、やっぱいいよ(汗)」
「いや、大丈夫ッス!この人乱暴者だけど、ほんとは優しいから」
「相手がお前じゃなけりゃな。で、一体なんだよ。後ろの子は何?」

おそらく聞き耳に巻き込まれたように見えるカシウスまでも邪険に扱うのは申し訳なかったので、ため息をつきながらもロックウェルは用件を聞く。今こうしてる間にフレデリックが来てしまったら、また聞き耳がうるさそうだ。さっさと帰ってもらわなければ。

「こいつは俺のクラスのカシウスってやつッス!それでですねー、俺らちょっとロックウェルさんに頼みがあって!」
「頼み?あー、無理。ごめんな。じゃ」
「ちょちょちょ!!待ぁーってくださいよ!話くらい聞いてくださいッス!」

再び閉められようとしたドアを何とか聞き耳がこじ開ける。

「いやマジ今無理だから」
「なんでですかぁ!?ほら、カシウスも頼むッス」
「……ロックウェルさん、お願いします(……何をだろう?/汗)」

カシウスに涙目で訴えられ、ロックウェルは眉をしかめてため息を吐いた。聞き耳はともかく、カシウスにそんな風に頼まれては無下には断りづらい。しかし、フレデリックもくることだし、罪悪感を多少感じつつも、帰ってもらうしかない。というかこの場にフレデリックが来たらあの無垢な笑顔で、皆でご飯食べよう♪なんて言い出しかねない。

「あのな、悪いがほんとに今から友達来るし…ん?」

ロックウェルの携帯が鳴った。聞き耳に勝手に入ってこられないようドアをしっかり押さえながら電話に出る。

「はい。あーもうできてるよ。え?……マジ?……あ、そう。…いや、いいよ。わかった、うん。お大事に。また明日な…」
「……」

しばしの気まずい沈黙が流れる。
どうやらフレデリックの兄のフィリップが酔いつぶれて帰ってきたとかで、看ていなければならなくなったらしく、今日はこれないということだ。

「ロックウェルさん、まぁ、そういうこともあるッス!」

携帯を見つめ放心状態になっているロックウェルの肩を叩き、聞き耳は部屋に上がりこんだ。

「……あの、入って大丈夫ですか?(汗)」

聞き耳に続き、カシウスが遠慮がちに玄関に足を踏み入れるのを見て、もうしょうがない、というようにロックウェルはカシウスを部屋に促した。折角作った料理なので、どうせなら人に食べてもらうほうがいい。それに、フレデリックのドタキャンの所為で一気に気の抜けた彼にはもう聞き耳を追い返す元気もなかった。

聞き耳たちが部屋に入れば、豪勢な料理のいい香りがした。カシウスはきょろきょろと整然とした部屋を見渡していた。学校一のアイドルの部屋とはどんなものかと思っていたが、想像通りこざっぱりとしており、大きなステレオの脇に積み上げられたCDもセンスのよさそうなものばかりで、この人モテそうだなぁ〜なんて考えていた。

「これロックウェルさんが作ったんスかぁ!?すげー!」
「……すごい」

聞き耳とカシウスの前が並べられている料理に感嘆の声を漏らしている間に、ロックウェルはキッチンから烏龍茶をグラスに入れて持ってきた。このあたりの几帳面さは相手が聞き耳でも出てしまうらしい。

「あー、それ、食べちゃっていいよ。カシウス…だっけ」

グラスをテーブルに置きながらロックウェルが言った。

「……え、本当ですか」
「いや、ほんとうまいッスよ、これ!カシウス、食ってみ♪」
「てめ…(やっぱりもう食ってるよ…もうどうでもいいや)」

フレデリックが来れなくなったことがよほどショックだったのか、いつもなら盛大にパンチをかましたくなるような聞き耳の行動にも何も言わず、ロックウェルはテーブルに肘をつき、ぼーっとしていた。
そんなロックウェルに対し、遠慮がちにカシウスは箸を進め、おいしい、と素直に感想を述べた。

「白身魚の淡白な味に白ワインの風味が生きてるッスねぇ…。牛乳に卵とまったりまろやかになりがちなのに黒胡椒のおかげで味が引き立っている…。それぞれ違う味を主張する材料たちの奏でる絶妙なハーモニー…」
「「……(うざい…)」」

「で、なんなんだよ、用事は」
「そうそう!それなんですけど。あのですねーカシウスの親友のブルータスがね、最近カシウスをほっぽりだして他の人といちゃこらしてるらしいんスよ。それでカシウスの元気がなくて」
「で?(いちゃこら?/汗)」
「そこで!俺は考えた!カシウスの元にブルータスを戻らせるために…」
「ために?」
「レッツ!やきもち焼かせて今更ながら君の存在の大切さに気付いたんだ今まで放っておいてごめん作戦ー!!」
「長いな!!(汗)」

得意げな聞き耳の隣でカシウスは赤くなった。
 
「で、俺に何して欲しいわけ?」
「カシウスと、仲いいところをブルータスに見せつけてやって欲しいッス!!」
 
自信満々に言い切る聞き耳に、ロックウェルは「こいつアホなんじゃないか」という今更ながらの顔をした。
 
「そんなん、俺じゃなくたっていいじゃねぇか……第一、いきなり過ぎて不自然だろ(汗)」
 
聞き耳はハァーッと大袈裟にため息をつき、チッチッチと指を振った。激しくウザイ。
 
「誰でもいいわけないじゃないッスかぁ!!俺とカシウスが仲良くしてたってブルータスは危機感の欠片も持たないッスよ!!ブルータスにやきもちを焼かせるためには、あんたのような、いかにも男をたらしこみそうな奴じゃないと!!」
「そうか。帰れ(怒)」
「あっ嘘ッス嘘!!(汗)」
 
少しの間、ロックウェルは腕を組み考えた。
 
「ていうか…なぜ俺がそんな面倒事を引き受けなくちゃならない?」
「だから、ロックウェルさんじゃないと……」
「だって俺に利益なくない?」
 
普通に考えて、協力したところで自分になんの利益もないどころか、むしろ悪い噂がたつ可能性があることに気が付く。大体確実に成功するとは言えない。というよりやきもちを焼かせる作戦など決行したところで、カップルならば失敗したあげく喧嘩して互いの信頼を損なう可能性大である。
 
「いやぁ〜そんなこと言わずに!!」
「無理無理」
「……あ、あの、聞き耳、もういいよ…(汗)ロックウェルさんも、無理言ってすみません……」
 
二人の話し合いに、居心地の悪くなったカシウスが眉を下げて遠慮がちに口を挟む。自分のことで何の関係もないロックウェルに迷惑をかけたくはなかった(聞き耳はカシウスのパーフェクトノートという報酬があるので可)。
そんなカシウスにロックウェルは優しく微笑みかける。

「カシウス、悪いな」
「ちょっ(汗)あんた『悪いな』じゃないッスよ!!カシウスが可哀想じゃないッスかぁ!!」
「……聞き耳、俺はいいから…」
「カシウスもカシウスッスよ!!ブルータスがカエサルの奴に取られていいんスか!?」
「カエサル?」
 
ロックウェルがその名前にピクッと反応した。
 
「カエサルって、エドガーの仲間の?」
「仲間?……まぁ、そうッスよ!!生徒会の!!そいつにカシウスが苦しめられてるんスよぉー!!」
「なるほど……」
 
考え込むロックウェルを聞き耳とカシウスは期待に満ちた瞳で見つめた。
エドガーの仲間のカエサル。エドガーは先日のバーでの行動を見る限り、言い訳のしようのないチャラ男だ。そんなエドガーにあろうことかフレデリックは好意を寄せているようだった。カエサルがどんな奴かは知らないが、今こうしてカシウスを悲しませていることは事実。しかもカシウスと一番仲の良かったブルータスにつけこむなんて、あいつらは人の気持ちを考えられないのだろうか。
 
「ロックウェルさん!!」
「……ロックウェルさん」
ちらと二人を見ればカシウスの必死な瞳と目が合う。感情表現の乏しいカシウスだが、その気持ちはロックウェルにもわかった。
 
「しかたないな。……わかったよ」
 
聞き耳がロックウェルの言葉に驚いて身を乗り出した。
 
「マ…マジッスか!?」
「あぁ。これだけ話も聞いちまったしな」
「あんたやっぱ最高ッス!!やってくれると思ってたッスよ〜!!」
 
喜びに感極まった聞き耳はどさくさにまぎれてロックウェルに抱きついた。そして間髪入れず烏龍茶を背中に流し込まれた。
 
「な…なかなか陰湿ッスね(汗)」
 
タオルで一生懸命背中を拭いている聞き耳の隣で、カシウスが涙目でロックウェルにお礼を言った。